『ダフト・パンク エレクトロマ』を観た。

 ロードムービー的無声実験映画とでも言うのだろうか。
 まず、正直な感想。あまり面白くない。なんというか、古いというか。画の感じがちょっとざらついてて、80年代を感じさせるとことかは別に良いんだけど。あと、ところどころ映像的に面白いところがあるんだが、全体的にはダフト・パンク、いったい何がしたかったのか。
 ストーリーはオーソドックスなロードムービーなんだが、主人公二人、というか、登場するのが全部ロボット。そして無声。人のあるべきところにすべてロボットがいる。そして主人公の二人(ダフト・パンクのジャケットを着ている)は車に乗って荒野を駆け、人の顔を装着しに行くが、しかし……。
 顔を作るところが工場だとすると、まあ、あの白い影というか、まあ白抜きで背景と同化しているのは人間なんだろうなあと。そうすると、映像的なテーマであると思われる、対比とかシンメトリーとかに当てはまる。他にも、登場するのがロボットなのに映像がカッチリしてなくて結構ぐらついたりザラザラしてたりとか、砂漠の映像辺りとか、――そういえば、砂漠の風景映像の最後に出てきた丘のショットは、あれは女体を意識したものだろうか。そして子宮へと回帰みたいな。他にも、自爆スイッチが背中にあるため自分では押せず、相方に押してもらって片方が自爆、そして取り残された方はなんとレンズで焦点合わせして日光で焼身とか。

 あの映画をちょっと邪推してみると、以前に比べてCDが売れなくなってしまったことへのダフト・パンクの危機感の象徴とみることもできるかもしれない。ヴォコーダーを使ったロボ的テクノで一世を風靡した彼らだが、後に出てきたテクノの後発、あるいはハウスや広義のクラブ系の追撃から逃れるために、テクノから生への移行を――あるいはただ羨望を抱いていたってだけでも良いが――試みるも挫折、再び自分がロボットであるということを見つめなおすが受け入れられず。みたいな。まあ、最近のダフト・パンクがどんな曲を作っているのか知らないんで、ホントただの邪推ですが。