『外套・鼻』読了。

(出)岩波書店《文庫》
(著)ゴーゴリ(訳)平井 肇

10/14日、午前中に町田へ足を運び高原書店にて購入。105円。同時購入-ドイツ語とドイツ人気質。10/26の仕事帰りに読始―10/29通勤時の電車内で読了。

・外套

憐れむべき窓際族、リストラ筆頭サラリーマン風とでも言う様な中年男性が外套に一喜一憂し、仕舞には化けて出るという短編小説。
ロシア文学的な前置き人物紹介はやはり好きだ。確かに現代的な作中人物に語らせ、行動で人物を規定する方法も良いのだが、ロシア的なアレにも味わい深いものがある。主人公、「アカーキイ・アカーキエウィチ・バシマキチン」の名前や一族の由来とか、ストーリーには関係ないからホントどうでも良いんですけどね。しかし、これが有るのと無いのでは違いが出てくると思う。というより、やはり必要な物なんじゃないかと。
うだつの上がらない、職場や世間では嘲笑を買いからかわれているような男の背景というか、その人物が意識していようがしていまいが背負っている祖先からの歴史のようなものがより感情移入の助けになると思う。もしかしたら幼少の頃、「お前、バシマチキンのくせになんでブーツはいてんだよ」みたいないじめを受けたかもしれないとか考えることが出来ますよね。
さて、何より印象深かったのが、外套を仕立てる段になってからのアカーキイ・アカーキエウィチの舞い上がりっぷり。このワクワク感はたまりません。あんなに熱心に取り組み、楽しんでいた写本の最中にも外套の事を考えてミスをしそうになったり、生地の下見や相談を仕立て屋としたり等々。
全体として感情線がきれいでさすがに上手い。このうだつの上がらない男に対する尊敬と愛がすばらしい。と、解説に書いてあった。この男に対する救いというか、何とか援助してやろうではないかという作者の主張が、作品中にちょこっと出てくる青年の行動として表れているらしい。

・鼻

そもそも奇妙なのが焼きたてのパンの中から焼いた本人も露と知らずに人の鼻が出てくるところ。そしてそれを川に捨てに行った床屋のイワン。川辺にいてそれを咎めた警官。まあ、起きたら鼻が無くてテンパる少佐についてはいいんですが。読んでいる途中まで、五等官に扮していたあの鼻は少佐の幻覚なのかと思っていたが、終盤警官が五等官に扮していたとか高飛びしようとしてるところを取り押さえたとか言ってるし、わけわかりません。

二本の短編を読んだわけですが、両方とも一喜一憂の様というか、感情の運びが丁寧という印象。素朴と言うか純朴と言うか、愚直で純粋な、任務や仕事に対して実に実直に向き合い従う人、そんな人に対する愛や尊敬が滲み出ている感。