リトル・ミス・サンシャイン

 昨晩、なんだかへこんでいたので、というか多分風邪なのだが風邪ひきすぎだろ。まあそんなこんなで4本ほどDVDを借りる。
内訳:「リトル・ミス・サンシャイン」「欲望(BlowUp)」「ベルリン、僕らの革命」「ラッキー・ナンバー7」

リトル・ミス・サンシャイン

出演: アビゲイル・ブレスリン, グレッグ・キニア, ポール・ダノ, アラン・アーキン, トニ・コレット
監督: ジョナサン・デイトン, ヴァレリー・ファリス
ASIN:B000LXHF4K

 とても心が温まった。予想にたがわず笑えて、少し考えさせられて、感動。観終わった後の爽快感がたまらん。僕の悩みを、というか、まあ自業自得故のジレンマなのだが、そのまま映し出すような野暮なことはしてくれなくて良かった。人それぞれに問題を抱えていて、それが自分の根本的な部分であればあるほど表には出せず、また解決も困難。仮にそれが解決されても、また別の問題が表れ、そして苦しむ。フロイトだかラカンだかの言葉にも人生は根本的に苦悩とともにあるというようなのがあったが、正にそのとおりで、その苦悩とどう折り合いをつけるかが人生にとって大事であると、映画の登場人物たちを見ていて思った。意識と無意識、享楽と苦痛の関係というやつですな。

フロイトラカンの理論によると、生はそれ自体が病理であり、病なのだ。では「病」とはどんな意味なのだろう?病は生けるものだけを苦しめる。これは確かだ。だが病は、生けるものに起こるかもしれない何かではない。むしろ、あまねく生けるものにとって、病は必然的な生の状態なのだ。生きているものはすべて、必然的に病んでいるのである。

フィリップ・ヒルラカン」-p132

 というわけで、それを勇気と呼ぶのか自暴自棄と呼ぶのか結果を見なければわからないが、ある種諦めにもにたところが見受けられるので恐らく後者なんだろうが、とにかくとりあえず前に進む原動力を甦らせてもらったような気がする。……いや、やはりもろもろの(主に自分の希望を優先させたものだが)状況を考えると今できることはさまざまな思想をかじり、吸収し、より深く理解できるように努め、自分の表現の幅を広げていくことだと思ったわけで、つまり働きたくない欲望に都合の良い言い訳が与えられたということですか。