「お客様は神様です」について。

 痛いニュース(ノ∀`) : 接客業のアルバイトが若者の間で不人気 - ライブドアブログを読み「お客様は神様です」という記述を目にしたので、その言説が誰のものか調べそして思ったこと。

「お客様は神様です」

 その言説が脚光を浴びたのは三波春夫が口にしたからであるらしい。-http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20020301.htm
 元々は芸能の基本思想だということだ。その言葉の真意は、

そこで、三波さんのご発言を私なりに書き換えさせて頂きますと以下のようになります。
日本の芸能始まりは、神仏への奉納芸である。
従って、舞台に立つ時は、神様の前で歌うのだとの神聖な気持ちになる。
その時客席には、神様の化身としてのお客様の姿を見る。
この神様の化身としてのお客様のお力によって、普段とは違う自分の力が引き出され舞台に生かされる。
ですから、「お客様は神様です」と思うのです。

とある。また、こちらの記事では、

言葉の頭に「あなた方」を補完しての解釈である。
「あなたがたお客様は神様です」
「私の歌を聞くあなたがたお客様はわたしにとっては神様でもある」という意味になるが、これはよく考えてみればまったく違う解釈も出来るかもしれない、ふと思った。
その違う意味というのは冒頭に「私の」という言葉を補完してみるとわかり易い。
「私のお客様は神様です」
三波春夫にとっての本当の客は目に見えない神様で、それを聞いているわたし達お客は神様のついでにご相伴に預かっているだけに過ぎない」という意である。
芸能という本質でいえば、この考えのほうが正しい。芸能の源流はすべて神事であり、それはすべて神への捧げ物である。わたし達はそのついでに楽しませていただいているに過ぎない。

と述べている。
 つまり世間に流布する「お客様は神様です」は、売り手が客を神格化し万事客の要望を取り計らう、ということであるが、実際はそのようなものではないということ。ということは、思うに、お客様は売り手の信仰する神、あるいは神々であり、その他実存を伴った人々はただの見物人ということであるかと。

自分の思想としてはどうか

 僕も不肖ながら舞台の上に立つ機会がある。そして歌なり何なりを人に聴いてもらう。今上記の記事等を調べるまではたいして意識的に考えた事もなかった。恥ずべきことである。これまで僕は客に対しては全く何も考えていなかったわけでもなく、それなりに思うところもあり、それは単純にビジネスライクな対等の売り手と買い手という構図を思い浮かべていたのであるが、これは僕が純粋なミュージシャン、芸能者ではないということに起因するのではないだろうか。
 なぜ僕が壇上に登るのかというと、それは僕の意見なり思想なりを述べるためであり、それを音楽に載せて人々に、社会に流布させようという魂胆がある。僕にはその芸術を神に捧げるという意識は無く、思想を人に受け取って欲しいという直接的な欲望を抱えている。つまり、宗教的な信仰は入る余地が無かったのではないかと。言い訳がましい感じだ。
 最近徐々に自分のなかで「芸術」というものに対する姿勢が変わってきているように思う。これまでは大して思想や哲学を知っているわけでもなかったので、その無知ゆえに芸術というものを毛嫌いし避けていた。ロックに踊らされていたと言い換えてもいいし、中二病といっても差し支えない。思想だ何だといって色々言っても、結局は過去の偉人たちの言葉の万分の一も重みが無いし、新規性も無いものだった。徐々に知識を蓄え、蓄えれば蓄えるほど、色々と見えてくる。ソクラテスの「無知の知」というものも実感したのはごく最近。そして思想や哲学、科学、社会学、その他諸々の学問と表現することとの関連が見えるにつれ、芸術に対する姿勢を新たにすることが出来た。ようやく表現されたもの、実在の裏にある思想、哲学などが見えるようになってきたということだろうか(このことには少なからず今の彼女さんの影響があるだろう。「少なからず」というか「かなり大きな」だ。その点を重々感謝しなければならない。あの子の側にいて気づかされたものはかなり多いし大きい)。形而上学的な考え方が身に付いてきたのかもしれない。といってもまだ初歩の初歩であるし、興味の対象が多すぎるから散漫もし、積み上げられる知識の量もその速度も微々たるものだ。昨日の日記にも書いたとおり、そのために僕は必死に泳ぎまわっている。

これからのスタンス。

 さて、上記を踏まえたうえで、これから僕が舞台に立つときどのようなスタンスで臨むか。
 結論から言うと、結果として表現されるものは大して変わらないだろう。なぜなら僕はやはり、人々に見せる、聴かせる為に舞台に立つからだ。だが、別に僕が神をないがしろにしているというわけではない。というよりも、果たして僕に宗教的な信仰があるのかどうかという別の問題がここに浮かんでくるので、それについてはまた別の日に記すことにする。ということで、仮に僕が何かしらの信仰があるとしておこう。すると僕は僕の表現活動について「人々に見せる、聴かせる為に舞台に立つ」と考えているのでこれを神に捧げるという事が不遜であるという風に思う。神に捧げられるような立派な芸にはいたっていないのである。あるいは祭りやなんかの宗教行事とは関係の無い、一対の人と人との対話の一部であるという捉え方の方がしっくり来るのかもしれない。極私的で個人的な事。僕はお客様である神様に向けて捧げるわけではなく、不特定多数に含まれる各個人という実在の人々を客として、友として舞台上で語るのであると。
 ということで、僕は「僕のお客様は神様ではなく、皆様である」という思想で今後舞台に立つだろう。そして、いつしか僕が神様に感謝をしたい時が来れば、僕は全霊を込めて捧げるための芸を持って、「お客様は神様です」という思想の下に舞台に立つだろう。