『大冒険時代 ―世界が驚異に満ちていたころ 50の傑作探検記―』読了。

大冒険時代―世界が驚異に満ちていたころ 50の傑作探検記

大冒険時代―世界が驚異に満ちていたころ 50の傑作探検記

10/7アマゾン購入、10/24に読み始め〜2/4の就寝前に読了。
大体地域ごとに12のパートに分かれていて、

  1. 冒険の大地、アフリカ
  2. ロシア帝国周縁で
  3. 中東、イスラムの風景
  4. 混迷の中国辺境地帯
  5. ヒマラヤの王国
  6. 極東からのレポート
  7. 魅惑の熱帯、マレー半島
  8. アラスカ、未知の山岳風景
  9. 南アフリカ、古いスペイン人の足跡
  10. アマゾン・オリノコ河の失われた世界
  11. 大海原へ
  12. 高空から深海まで――新しい冒険の舞台

と、こんな感じ。

3ヶ月の間就寝前の寝床本としてお付き合いいただいた。読了するまでの間に平行して読んでいた本が『路上』『旅の日のモーツァルト』という旅づくしの時期があったが、猛烈に旅に出たくなったのを覚えている。僕の中で旅というものには幾つかの種類がある。僕にとってまず「旅」っていうと、バイクで行くツーリング。これが一番大きいかなと。なんといっても道があればとりあえずどこにでも結構速くいける。寄り道はし放題だし、夏であればバイクの爽快感は何物にも代えがたい。冒険もできる。次に刺激を求めて海外リゾートというのもある。その土地においては何の変哲もない場所でも、異文化というだけで新鮮。あまり冒険的要素を含まない、慰安的な旅というのも。箱根や草津に電車で温泉旅行なんてのはこの類。ゆったりと一所にのんびりとって感じか。
この本に描かれている物語は、前者2つに近い冒険。一応彼らには学術的な探求調査や政治的な目的があるにはあるが、共通しているのは、恐らく旅をするということ自体に魅力を感じて旅をしているという事だろうか。旅を語るときには、先の2つの「旅」つまり目的地へ行くまでの道程を語るものと、目的地自体について語るものとがある。この本に書かれているのもこの二種類のどちらかだ。そしてそのどちらにも必ず苦しみが付きまとう。砂漠の横断では灼熱の太陽や喉の乾き、服や口の中に入り込む砂などがあり、ジャングルでは湿気と暑さ、蟲、獣、疫病、山では険しい登りや崖、雪崩や悪天候、また、どこにおいても乗り物の故障や、馬などであればその死と別れ、あるいは20世紀前半ということもあり、乗り心地の問題もある。世界大戦も発生した時代なので戦闘に巻き込まれたり、山賊に出会ったり。意見の食い違いや何の変哲もない各々の行動に憤ったりで喧嘩したり。実に大変。しかし、やはり楽しいのである。砂漠の先にはオアシスやイスラムの神殿があり、ジャングルを分け入れば未知の生物や植物、壮大な滝や魅力的な原住民が居たり、山の頂からは遥か世界が見下ろせ、人知を超えた地形が存在するし、海を渡れば見知らぬ入り江や港が待っている。そしてなにより一番の喜びはその苦しみと目にしたすばらしいもの達を携えて家に帰り安堵する時なのではないだろうか。まあ、人によっては落ち着けない、根っからの冒険野郎もいて、常に見知らぬ土地や海の上に居なければ気がすまないかも知れないけど。

 冒頭の「本書に寄せて」で懐古的に現代に残されている未踏の地は少なく、冒険と呼べる旅ができにくくなっているというよなことがかかれていた。確かに今の僕らには当時のような大規模な冒険というものが行いにくくなっている。しかし、それだけが旅で冒険であるというわけではない。確かに人跡未踏や人類未知の土地という場所にはいけないが、しかし僕はまだ彼らの訪れたすばらしい土地を生身で訪れたことがない。どんなに手垢のついた観光地になっていようと、砂漠に行けば暑さと砂に苦しむだろうし、ジャングルに踏み込めば蟲に脅かされる。美しい宮殿や滝、大河、山々を見れば感動するだろう。つまり現代の庶民たる僕においてはそういうことなのではないかと思う。