誰が何を歌うのか。

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080228/1204149870を読んで思ったこと。

形骸化というか大衆化

 歌詞の意味が普通にわかってこそばゆいため大意しかつかめない洋楽に引きこもった僕なので、そもそも「J-POP」って何?という感じだですが、要は90年代英国の「ブリット・ポップ」みたいなものだろうなあとか思います。一時期国産のポップスが全くしょぼくれ洋楽に押されていた時期に盛り返してきた国内勢の総称みたいな(知りませんが)。
 「POP」というからには大衆の身近に偏在する何かを対象にしているわけで、大衆の共感を得なければならない。あるいは大衆に共感を強いる。個性がどうだとか多様化が云々言われている昨今なわけで、これだけ興味の対象が広域に細分化され掘り下げられてしまえば大衆の共通項はつまりポップス自体ということになるのでしょうか。そうなるとまあ大衆が何を望むかというよりは対象年齢を下げて教化してしまった方があれですよね。ということでもう、幼児にしか通用しないような「彼とニャンニャン」だ「お前がいなくてブルー」だとか「ヤッちゃった☆」とかそういうのが氾濫するのかと。そこにこれまでは自浄作用的にRockがあげいんすとしてきたはずなんですが、残念ながら90年代に"Rock'n'Roll is Dead"だし、プロテスタントなフォークは"もう弾かない"と言われ、"Punk is not Dead"とか言いながら「彼女はラップとか聴いてる奴が好きなのさ」とか言っちゃってるし、HipHopは言わずもがなな状態だし、エッジなところは未だに地下に潜りっぱなし。テクノは上げ上げにトランスと。レゲエは湘南にしか吹かない。そもそも音楽形態としてのいづれかのジャンルに何かを求めてる時点で僕は終わってるし。
 かといって、大学とか出ててただ働くのが面倒で享楽的に「俺ミュージシャン」みたいなリア充NEETの代弁者的な面をされて政治を歌われても腹立たしい。そして大多数のニートDQN。多分。

要するに

 ケータイ小説みたいなものじゃないのかなあ、と思いました。