興味多彩と

ロスジェネは誰と闘うのか - 雑種路線でいこう

・僕は何のために誰と闘うのか。例えば経団連企業の経営者たちか。彼らだって世界中の競合相手と闘っているのである。例えば厚生労働省の役人か。彼らだって米国や産業界からの圧力に抗して労働者の権利を守るために闘っているのである。

何故「共闘しろ!!」とか命令されなきゃならないのか。しかも何とどう闘うか、そうすれば世の中がどう良くなるかとか、全く展望がないのである。


・マクロ的には団塊世代の雇用を守るためにロスジェネが犠牲になり、団塊世代の引退に備えて今の採用加熱がある。けれども団塊世代は敵か。じゃあ団塊世代の誰が敵なのか。団塊世代の労働者は昔からの約束を履行されているだけで、経営者は約束を守るために辻褄を合わせているだけだ。そして約束を守らせているのは経営者の裁量ではなく法規制である。


・別に丸の内の高層ビルで団塊オヤジが豪華な椅子に座って「ロスジェネを犠牲にして、団塊世代を守ろうぜ」とか決めている訳じゃない。彼らが団塊世代を守っているとすれば、もっと消極的に法令遵守を意識してのことだろう。


・思うに「闘え!」という連中を信用してはいけない。誰と何のために闘い、そして何を得られるのか彼らは一度でも明らかにしただろうか。矛盾は弱者に皺寄せされる、それは一面で真実である。けれども弱者が立ち上がって皺を管理職や経営者に押し返したところで、問題が解決する訳ではない。まずは結果的に彼らに皺寄せされた問題そのものは依然として残っているのである。


・仮に階級間の連帯が成立するとすれば、それは共闘に於いてではなく、弱者に問題を皺寄せしている現在の部分均衡解から、もっと効率的な最適解への移行を模索する営為に於いてではないだろうか。


・多くの人を動かそうとするなら、まず共通の利害と当面の目標を設定しなければならない。共闘が彼らにリスクを上回るメリットがあることを示さない限り、大半の正規社員層は見向きもしないだろう。手前勝手な「業」じゃ人々を動員できないのだ。

「羊狩り社会」をぶっ壊せ - 雑種路線でいこう

・まともに努力する中間層の厚みは、極めて重要な社会資本である。ひとがまともに努力するのは、まともに努力すれば報われると信じるからである。努力しても報われないという予期が蔓延したことが、学級崩壊や学力崩壊の遠因にある。


・過去にしがみついてもジリ貧しかないのである。移民の受け入れにしても、雇用法制にしても、いくらでも見直すべきことがあるにも関わらず、何故かくも無策でいられるのだろうか。結局のところ団塊世代の黒山もこもこを組織内で勝ち抜いた連中の多くは、いま走っている方向に疑問を持たず、或いは内心の疑問から目を背けてまで競争に邁進できたマキャベリストではないか。彼らは出世のためなら全体を考えず、派閥をつくって仲間内で庇いあい、弱いものを蹴落として生き残ってきた、そもそも転換期には最も向いていない人種ではないか。


・高度成長やバブルの夢にしがみつき、現実から目を背け、社会の矛盾を弱者に押し付けてジリ貧へと突き進もうとする先達たちをひっぱたき、希望を掴むことは、実は僕らロスジェネの責務ではないか。残された時間は長くない。