音楽と裾野の話。

Expired
記事はアメリカでの話。実際日本ではどうなのだろう。邦楽に興味が湧かないから良く解らないが、日本ではどうやら携帯配信が功を奏しているよう。けど、あれってどういう考えで流行らせているんだろうか?

ケータイで聴く音楽

僕も着うたとかをダウンロードしているわけじゃないけど、数年前に買ったi-Podのバッテリーがう○んこなのでmp3プレイヤーとしてケータイを使っている。BGMとして流し聴きする分にはまるで問題ないし、むしろものすごく便利なんだけど、けどやはりショボイ。この辺はプレイヤーの問題。

着うた

プレイヤーの限界もあるだろうし、スピーカー部(イヤホン等)の差もあるだろうけど、ケータイでしか聴けないことになっているのだから、まあ、着歌ってのはそういう商品なんだろう。つまり、演奏の技術を聴かせるとか、音自体を聴いてもらうとかって言うものじゃなくて、曲のコノテーションの部分というか、「その曲のイデア」のようなものを聴かせていると。それならば確かに用は済む。電車とか街中とかでいどうしながら適当な音量で聴く分には音が奇麗とか別に関係ないしね。大体こんな音が鳴ってて、(歌ものPOPSなら)ここら辺で歌の人がこんな感じの事を言ってるし、曲も盛り上がりをみせてるからテンション上がるZE!!みたいな。

裾野

インターネッツの中や外の人たちのおかげで、なにやらもうインディーズという言葉が形骸化してきて、更に色々意味の流動化やら新しい造語やらで訳解りませんが、様々な分野で起こっている事の一部として音楽もみんなが個人でじゃんじゃん配信してる。かく言う僕もやっていたりする。大抵の場合皆の曲は問題なく聴けるレベル。なぜかといえば、それが素人の作品だからだと解っているからね。それに、ろくすっぽ専門知識が無くても、機械な部分でちょっとした知識があれば、楽典的な部分をのぞいてある程度のクオリティを維持できるようになっているのも大きい。

CD

着歌がイデア的な商品であると仮定したわけだが、それならば素人の作った作品との違いはナンなのさと。いや、アーティストの資質というか、まあ編曲や歌詞なんかの良し悪しはそりゃありますが、じゃあレコード会社の中の人、特に技術分野の人の価値はどうなるのさと。素人がミックスしたものと大差ないようなレベルでしか聴けないプレイヤー向けの音源を作るって。まあポップスだからいいのか。愛や真実やらを歌って共感できるようになっていれば問題なしと。ここに最近のレディオヘッドのプロモーションのような意向でもあれば別ですが、別に愛や真実やらを歌って共感できるようになっていれば問題ないのでクオリティの高いCDを買う必要も無いと。そりゃCDも売れないですよね。

昨今の搾取先

今の音楽業界、レコード会社やレーベルに限らず、楽器作ってるところとか演奏する場所を提供するところとかもそうなんだけど、結構敷居を低くして皆に実際に体験してもらってお金をもらうという感じ。上手くすれば、というか才能があれば売れちゃいますよ〜、みたいな。そして裾野は広がる。
裾野が広がっているというのはいいことなんだけど、広がっていくとどうにもそこには悪い奴らが現れる。しょうがないですよね。
「○○さんの『▲木馬』という曲、聴かせていただきました!雰囲気がすごい好きですね!構成も凝っててツボです!Voさんの声も独特で……云々」良く聴くせりふです。誰しも人から褒められればうれしいですよね。そして、
「新しいレーベルを立ち上げまして、是非とも○○さんにもコンピレーションCDに参加してもらいたいです!!費用はCD販売ノルマの15枚分だけです。それ以上の売り上げは全てアーティストさんにバックですよ!」
というね、「ええ俺の曲がコンピに選ばれた〜!」みたいに喜んじゃいますよね。特に昨今、いや、昨今特にというわけではないですが低年齢化で夢見る若者は増えるし、ちょいワル的にオヤジバンドもブームですからね。夢見る人々に甘いささやきは、そりゃ氾濫します。しかし、まあたいていの場合ものすごくクオリティ低いんですよねそういうの。いわば本の世界でいう自費出版支援会社みたいな。この程度なら自分でやった方がマシなんだがっていうくらい。
あと、最近は良く「あなたの曲を着うたで世界中へ配信しませんか!!」みたいなメールがきますね。当然有料でしかも世界って……。



というわけで、良く解らないけど「ガンズはいつCD出すんだよ!!」と十数年待ち続けてようやく生ライブを観た先輩が泣きながら言っていたので、お金を出す側ではなく出される側になったら人は気をつけようという話。