MADが探す「WALK THIS WAY」といえる道はどこ?

MAD削除について、ある権利者側の人間の感想… - Life in Prison/生きるしかすることがない
MADを巨人の肩に加えるのか - 万来堂日記3rd(仮)
この辺りを今朝読んで。

ブクマやらダイアリーやらを見ていると、MAD関連でようやく向こう側(権利者)の動きがこっち側にみえてきている。
MADを巨人の肩に加えるのか - 万来堂日記3rd(仮)のなぜ90年代のサンプリング、リミックスを通過したHIPHOPは許せて、現状のMADが許せないかというところ。

現状MADに充分な敬意が払われていない理由は容易に想像がつく。市場が形成されていないからだ。つまり、金にならない。

お金に関する権利については、角川の動きで落としどころが探られつつある。
YouTubeにハルヒMAD上げてたら角川からメールが来たでござる - coldcupのメモ


少し前に色々言われていたと思うけど感情面に関するものについて(ブクマし忘れていたので具体的な内容は不確か)。
「MADやらの改変は著作権者、創作者の心情を損なう可能性があるということで、その辺りからもよろしくないと、さらに、元ネタのファンの心情にもそぐわない事もあるし、ちょっとやめていただけないかしらと。そのへんを留意して今後はやれよ」と。
そんなことが言われていた。*1


これって、誤読した引用はやめてくれ、ってことなのかな。「素人のお前の解釈など要らないから、あるがままのあるべき姿しか俺は認めない」という。でもそんなの不可能だと思う。原作ですら何かのパロディなのかも知れないわけだし。
よく創作やっている人の新作発表時のインタビューを見聞きすると、「この作品、受けての自由な解釈に任せる」みたいなことを言っている。実際、作品をどう解釈するかは個々人の自由だし、ニュータイプでもない限りはどんなに作品や作者との対話を進めても真に分かり合えるというのは不可能に近いと思う。
こんなことを言っている人もいる。

本それ自体は不変であり、一方人々の意見は、往々にしてそれに対する絶望の表現でしかない

『審判』フランツ・カフカ -p323

*1:7/6追記1