『スローター・ハウス5』読了

なんというか、暖かいだとか、切ないだとかいう自分を殴りたくなるくらい稚拙な感想しか言葉が出てこない。そういう面ではとても口惜しいのだが、読後感はとても晴れ晴れとしていて、目の疲れが気にならないほどである。

タイトルの『スローター・ハウス5』は英語でSlaughterhouse-Five、ドイツ語でschlachthof-fünf、第5屠殺場のこと。主人公ビリー・ピルグリムがドイツ軍の捕虜となり収容されていたドレスデンの建物のこと。

おいらの名前はヨン・ヨンソン
ウィスコンシンに根をおろし
製材工場で汗流す
街で行きかう人たちに
「あんたの名は?」ときかれたら
答えはいつも同じこと
「おいらの名前はヨン・ヨンソン
ウィスコンシンに根をおろし……」

-p11

こんなに短い、ごたごたした、調子っぱずれの本になってしまった。だがそれは、大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつないからなのだ。今後何もいわせず何も要求させないためには、ひとり残らず死なねばならない。殺戮が終わったとき、あたりは静まりかえっていなければならない。そして殺戮とは常にそうしたものなのだ、鳥たちをのぞいては。
鳥はなんというだろう?〜〜それはこんなものか、
「プーティーウィッ?」

-p30

腕時計の秒針が一度カチッといい、一年がすぎる、するとまたカチッというのだ。〜中略〜地球人であるわたしには、時計の言うことを〜中略〜信じるほかないのだった。

-p32

アメリカではたやすく金が儲けられるという虚言である。金を儲けることが実際にはどれほどむずかしいか、アメリカ人は認めようとしない。金を持たぬものは、したがっておのれを果てしなく責めることになる。そして、この自責観念が一方で金持や権力者の財産となってきた事実も見逃すことはできない。貧者への義務を公的にも私的にもほとんど果たすことなくすましてきたという意味では、彼らはナポレオン時代以降最も恵まれた支配階級といえるであろう。

-p156『ハワード・W・キャンベル・ジュニアの論文』

神よ願わくばわたしに
変えることのできない物事を
受けいれる落ち着きと
変えることのできる物事を
変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵とを
さずけたまえ

-p76