『暗闇のスキャナー』読了

(出)東京創元社《創元SF文庫》
(著)フィリップ・K・ディック(訳)山形浩生

 9/24開始〜10/5読了。
 p158のジョセフ・E・ボーゲンによる論文の引用から、脳梁の切断による左右脳の競合が起きていることがうかがえる。同時に論文を引用することで脳機能と症状の説明を行っている。
 フレッド(ボブ・アークター)がボブ(フレッド)の監視を始める辺りから人格の乖離、あるいは分離作業が始まっている。以後主に被監視者であるボブの時にドイツ語による他脳からの語りが入り込む。ニュー・パスに収容後、「D」の副作用により脳の機能が大幅に制限された状態でテルマという少女との接触(あるいは自然治癒)によりドイツ語の詩が頭に去来している。脳が回復している兆候を示唆しているのではないか。または、「ゲーム」によって罵倒されている最中に、

「僕は目だ」

-p360

と口走り、またテルマに語ったオオカミの話に見られる、オオカミ=中毒者のような部分から、自分が何者であるかということが無意識に感じられていると思う。

 「暗闇のスキャナー」はディックの作品中でかなり特異な位置を占めていると訳者は解説している。SF的なアイテムが鍵となり表面上の日常から裏に潜むシステム、「真」の現実への転換がなく、それによって現実からの逃避が不可能であること。主人公のボブは物語の最後までついにニュー・パスが物質Dを作り、金を得、さらには廃人を回収し労働力をも得て更に強大に鳴っていくというシステムを知ることができない。
 結局、享楽を求めて下層階級にいるか、まじめに努力して中流にとどまるか、死に物狂いで、もしくは生まれながらに上流で頭を悩ませるか。この物語の救いはドナの存在とラストに辛うじて示される希望くらいか。